慰霊の言葉
中国大使館参事官 劉少賓
2002年6月30日

本日ここに、花岡事件中国人殉難者慰霊式が厳粛に行われるにあたり、私は中国大使館を代表いたしまして、謹んで異国の地に眠る中国人殉難者対し、哀悼の意を表し、また、長年にわたってこの慰霊式を続けてこられた大館市各界の皆様に感謝申し上げます。
 花岡事件は五十七年という歳月が経ちました。この事件は過去日本軍国主義が犯した重大犯罪行為の一つであります。“前のことを忘れず、後の事の戒めとする”。中日両国が永遠に平和的に仲良く付き合っていくことこそ、悲劇を防ぐことができ、また殉難者に対しての最大の慰めであると思います。
 最後に、中国人殉難者のご冥福をお祈り申し上げ、中日両国永遠なる平和を祈念いたします。



追悼文(仮訳)
中国紅十字会総会 副会長 孫愛明


 きょう、私たちは、日本軍国主義者が発動した中国侵略戦争のなか日本に労工として強制連行され、花岡の地で悲惨な死を遂げた中国人同胞に、沈痛な思いのうちに深い哀悼の意を表します。
 50余年前、日本軍国主義者は大規模な中国侵略戦争を引き起こし、その戦争遂行のために大量の中国人を日本に労工として強制連行しました。彼らは、その処遇と生活条件が劣悪を極めるなか重労働に従事させられました。そして、数多くの中国人は、異境の地で悲惨な死を迎えたのです。
 1945年6月30日、耐えきれなくなった中国人は、花岡の地で日本の侵略者に反抗する暴動を起こし、その「花岡暴動」は、大きな反響を呼びました。この暴動は野蛮な鎮圧に遭いますが、それは日本軍国主義者に中国人民の不屈の反抗精神を示しました。同時に、その暴動によって、世界の人々に、日本軍国主義が野蛮で凶暴なうえ、人間性のかけらもなく中国人民の血と汗を搾取し、世界に例のない血腥い弾圧を加えたことを明らかにしたのです。暴動は、また世界の反ファシスト戦争史に重要な歴史的意義を印しました。
 11名の花岡受難者代表の苦しい裁判闘争は、中日両国の平和友好人士の多大な支持と援助のもと、2000年11月29日、「共同声明(90年
7月5日)」の再確認を基礎に、和解が達成されました。この結果は、また正義の伸張を図り、花岡の死難同胞の英霊を慰めるものです。
 中国紅十字会は、「人の生命と健康を守り、人道主義精神を発揚し、世界平和を促進する事業」を趣旨とする社会救助団体であり、平和を訴え戦争に反対しています。今年は、中日国交正常化30周年にあたります。私たちは、中日両国の友好関係が不断に発展することを心から願うとともに、日本軍国主義が中日両国人民にもたらした悲惨な現実を永久に忘れることはできません。中日両国並びに世界の平和を愛する人々は、更に手を携えて共に中日両国及び世界の平和友好のため、より大きな貢献を果たさねばなりません。
 最後になりましたが、中国紅十字会総会として死難同胞に心からの哀悼の意を表します。
 2002年6月30日 


追悼文(仮訳)
花岡受難者聯誼会 代表 李紹海

 本日ここに、我ら花岡生存者・遺族は、悲痛な心情を胸に、日本軍国主義の発動せる侵略戦争の中、花岡に労工として強制連行され無残な死を遂げし難友、先輩たちの慰霊活動に参加せり。我は「花岡受難者聯誼会」を代表し、死難せる難友たちに沈痛なる哀悼の意を表さん。
 労工とされし当地に至らば、50余年前の往事が思い起こされて心痛み眼も背けんばかりの情景脳裏にのたうつ。千人近い我らの難友たちは、鹿島の棍棒と鞭のもと、劣悪非道なる待遇のもと過重なる労務に従事し、抑圧、奴役極まれり。耐え難き状況のもと、1945年6月30日、世界を震撼せし花岡暴動起これり。決起は野蛮なる鎮圧に遭うも、全世界に中国人民の決死不屈の反抗精神を示し、中華民族と中国人民の尊厳を守り、日本軍国主義の罪行を暴露せしめたり。即ち、野蛮、凶悪なる圧制のもと、中国労工を奴役せる事実、更に労工決起に対する残酷なる鎮圧をば。それは、また世界の反ファシズム戦争史上に大なる歴史的意義を加えたり。
 花岡事件の妥当なる解決を目指す10余年の苦難なる闘争は、日本の友好人士並びに愛国華僑の大いなる支持のもと、「共同声明」を基礎として、鹿島との間に和解成立せり。55年の血涙の深冤は雪がれ、正義は伸張されたり。また、他の戦後補償の鑑たる新方式を創造せり。
 賠償金の受給にあたりて、我らは積極的かつ慎重なる原則を堅持し、その事業は順調に進捗し、喜ぶべき成績を挙げたり。我らは、必ずやあなたたちの意思を受け継ぎ、加害者の責任を引き続き追及し、花岡闘争の完全なる勝利を獲得せん。
 本年は、中日国交回復30周年に当たれり。来訪と慰霊は、必ずや中日の民間往来を深め、中日友好を促進せん。「前事忘れざれば、後事の戒めとならん」。我らは、必ずや過去を心に刻み、歴史を鑑とし、中日両国子々孫々の友好のために、世界恒久平和のために、たゆまざる努力を傾けん。
 遙かなる難友たちよ、安らかに眠られんことを。
  2002年6月30日